天下の悪法「生類憐れみの令」は、実は命の尊さを説く良法だった?

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徳川綱吉
徳川綱吉
写真は、こちらからお借りしました。

江戸幕府の5代将軍といえば、「生類憐(しょうるいあわ)れみの令」を出した人物-徳川綱吉-です。
綱吉のことを良く知らない方でも、「人間よりも犬の命を大事にしたバカ殿」と聞けば思い出すことでしょう。

さて、綱吉はいまだに歴代最悪の将軍であるかのように語り継(つ)がれています。
何故なら、当時から綱吉を批判する者が多く、かの新井白石(あらいはくせき)も、綱吉を「悪い将軍だ」と書き残しています。

しかし、「生類憐れみの令」は、本当に悪法だったのでしょうか?

「生類憐れみの令」は、実は命の尊さを説く良法だった

実は、当時は戦国時代の名残(なごり)からか、市中での殺人事件は珍しいものではありませんでした。
水戸黄門として知られる徳川光圀(とくがわ みつくに)でさえも、訓練のためと浮浪者を切り殺したことがあるのです。
綱吉は、当時のそんな状況を憂い、「殺生(せっしょう)を慎みなさい」とお触れを出したのです。
人間よりも犬の命を重んじたわけではないのです。

綱吉は、戌(いぬ)年生まれだったため、犬を大事にする「犬公方(いぬくぼう)」と揶揄(やゆ)されました。
しかし実際には、ほかの動物はもちろん、人間の幼児、老人の保護も積極的に行なっていたのです。
が、そんな綱吉の、「殺生を慎め」という想いは理解されることなく、60歳でこの世を去りました。

しかしながら、綱吉が亡くなり、生類憐れみの令と呼ばれる法令が取り下げられ、「前の将軍の頃は、蚊も殺せなかった」という笑い話が盛り上がっていただろう頃、変化は確実に起きていました。
江戸の治安が、劇的に良くなったのです。

綱吉の政策は、まったくのムダではありませんでした。
命を軽んじていた人の心を、変化させたのです。
そしてこの精神は、今の私たちにもつながっています。

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