力士が土俵に向かう通路を花道といいますが、何故「花道」なのでしょうか?
「花道」はこの道をかつて力士が頭に花をさして通ったことから
奈良時代や平安時代には、宮中で盛んに「節会(せつえ)」と呼ばれる相撲大会が行なわれていました。
この大会では、力士が東西に分かれて勝敗を競っていましたが、東方の力士はミツバアオイの花を、西方の力士は夕顔の花を頭にさして登場しました。
頭に花をつけた力士が通ったことから、この通路を花道と呼ぶようになりました。
おわりに
今日は、相撲の「花道」の語源について書いてみましたが、いかがでしたか?
相撲といえば、なんと、相手の力士の迫力に圧倒され、試合中に逃げ出した力士がいました!
詳しくは、以下の記事をお読みください。
日本の国技とされる相撲。その長い歴史の中で、 なんと、試合を放棄して逃げ出した力士がいることをご存じですか?1964年(昭和39年)に行なわれた夏場所4日目、序の口取組での高見山(たかみやま)と吉瀬川(きせがわ)の1番で、ハワイ出身の巨漢・高見山の迫力に圧倒され、吉瀬川は土俵から逃げ出しました。
参考にしたサイト
相撲の花道 – マックスウエブライフ
http://maxblog.mie1.net/e10050.html