画家として世界的に有名なオランダの画家ゴッホですが、なんと! 彼の絵は生前、1枚しか売れなかったことをご存じですか?
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ゴッホは、もともと画家ではなく伝道師を目指していた
画家として有名なフィンセント・ファン・ゴッホ(Vincent Willem van Gogh、1853年 – 1890年)は、若いころはキリスト教の伝道師を目指していました。
しかしながら、夢破れて芸術家を志(こころざ)します。
そのため、正式に美術を学んだこともなく、家族のほとんどが画家になることに反対したといいます。
ゴッホの才能を見抜いたのは画商を営んでいた弟だった
そんな中、画商を営(いとなん)んでいた弟のテオが唯一(ゆいいつ)、彼の非凡(ひぼん)な才能を見抜きます。
そして、兄を支え続けたのです。
「ボクが寝ながら支えてあげるから、勉強しっかり頑張るニャン!」
ゴッホの残した約2000点の作品の中で生前に売れたのは、なんと、1枚だけ!
ゴッホは、画家になってから10年間、絵画の制作に打ち込み、約2000点の作品を残しました。
しかしながら、その中で生前に売れた絵は、なんと、わずか1枚だけ!
それでは、それはどのような絵だったのでしょうか?
「赤い葡萄畑(あかいぶどうばたけ)」という作品で、以下がその絵となります。
赤い葡萄畑
写真はこちらからお借りしました。
この「赤い葡萄畑(あかいぶどうばたけ)」は、アルルでゴーギャンと共同生活をしていた1888年(明治21年)11月初旬に描かれた作品です。
この絵の購入者は誰?
この絵の購入者は、ベルギーの芸術家組合「二十人会(通称ヴァンティスト)」の組合員アンナ・ボックという女性です。
彼女はこの絵を、400フラン(現在の11万円程度)で購入しました。 1890年(明治23年)2月ゴッホ自殺の5ヶ月前のことでした。
ちなみに、このアンナ・ボックは、アルル時代にゴッホが知り合った画家で、詩人のウジェーヌ・ボックの実姉に当たります。
おわりに
ピュリッツァー賞受賞作家、スティーブン・ネイファー氏とグレゴリー・ホワイト・スミス氏の著書『ファン・ゴッホ:その人生』には、信仰上の理由から、ゴッホが自身の体に罰を与えた様子が書かれています。
彼は、コートを着ずに嵐の中に出て行ったり、黒ライ麦のパンしか食べなかったり、杖の上に寝たりしたといいます。
このようなところに、ゴッホの信仰の篤(あつ)さが伺(うかが)えます。
いずれにしても、37歳で悲劇的な最期(さいご)を遂げたゴッホの作品群は、鬼籍(きせき)に入ってから見直され、今では世界中で高い人気を誇っていることはいうまでもありません。
なお、2015年(平成27年)には、ゴッホ没後125周年を記念して、オランダ・アムステルダムのゴッホ美術館で「ムンクとゴッホ展」が開催されました。