ヤクルトの応援歌は、「東京音頭」ですが、これは何故なのでしょうか?
これには、古い歴史があります。
当時の私設応援団団長・岡田正泰氏が突然歌い出したのが始まり
ヤクルトの応援歌が「東京音頭」になった理由は、1960年代に遡(さかのぼ)ります。
当時、ヤクルトの最大私設応援団団長だった岡田正泰(おかだ まさやす、1931年4月8日 – 2002年7月30日)氏が、球場で突然歌い出したのが始まりです。
岡田氏は、チャキチャキの江戸っ子で、大のお祭り好きでした。
岡田氏は、自分の近所の友人や、幼馴染(おさななじ)みを誘ってヤクルトの応援に行っていたのですが、弱小球団(じゃくしょうきゅうだん)で人気も全然なかったヤクルトを少しでも盛り上げようと、「東京音頭」を歌い始めたのです。
東京音頭は、岡田氏のように東京の下町に住む方にとっては、小さい頃から馴染みのある曲(ヤクルトスワローズ以前にも大毎オリオンズの応援団が応援歌にしていた)でした。
友人たちも皆知っている曲だったので、この曲が歌われたようです。
その後、ヤクルトファンが増え、徐々に「東京音頭」が浸透(しんとう)していきますが、そんな中、ヤクルトが念願の初優勝を果たします。
これがきっかけで、応援歌に「東京音頭」が定着(ていしゃく)し、現在に至っているのです。
岡田氏は、他にも現在のスワローズの応援スタイルを確立
なお、岡田氏は東京音頭の他にも傘による応援など、現在のスワローズの応援スタイルを確立した方でもあります。
傘による応援はもともと、少ないファンをなるべく多く見せることが目的でした。
1990年代に入って、ヤクルトが優勝チームの常連になっても、岡田氏は「ファンを楽しませたい」という一心で明治神宮野球場に足を運び、声を嗄(か)らしてヤクルトを応援し続けました。
ヤクルトファンは、彼のことを尊敬の念をこめて「オヤジ」と呼び、今でもライトスタンドには、岡田氏の在りし日の写真とともに、お供え物や花などが飾られています。
参考にしたサイト
なぜヤクルトの応援歌は「東京音頭」なのですか? – Yahoo!知恵袋
https://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1222382837
岡田正泰 – Wikipedia
https://ja.wikipedia.org/wiki/岡田正泰