日本初の整形美人・松井須磨子は、死ぬまで後遺症(こういしょう)に苦しめられていたということをご存じですか?
整形して念願の女優となった松井須磨子
明治・大正時代に活躍した新劇女優(しんげきじょゆう)、歌手・松井須磨子(まついすまこ、本名:小林 正子(こばやし まさこ))。
彼女は、「日本初の整形美人女優」といわれます。
出典:https://blog.goo.ne.jp/1971913/e/1791a6db015a3d3ac7d78c995ff6f039
女優になりたかった松井須磨子(まついすまこ)は、俳優養成学校(はいゆうようせいがっこう)に願書(がんしょ)を提出して面接を受けますが、その面接で、「鼻が低い」と入学を拒否(きょひ)されてしまいました。
しかしながら、女優になるという夢を諦(あきら)めきれず、鼻すじに蝋(ろう)を注入する隆鼻術(りゅうびじゅつ、=美容整形手術)を受けます。
この手術は、当時としては最新の技術を駆使(くし)したものでした。
かくして、松井須磨子(まついすまこ)は、晴れて俳優養成学校(はいゆうようせいがっこう)に入学し、念願(ねんがん)の女優となったのです。
思わぬ後遺症が松井須磨子を襲う!
ところが、彼女を待っていたのは、整形手術の思わぬ後遺症(こういしょう)でした。
出典:https://blog.goo.ne.jp/1971913/e/1791a6db015a3d3ac7d78c995ff6f039
松井須磨子(まついすまこ)が注入した蝋(ろう)は、比較的軟らかいもので、体温程度でも不安定な状態になり、鼻筋(はなすじ)からずれてしまうことが多く、そのつど、自らの手で押さえていたといいます。
そして、このようなことが頻繁(ひんぱん)に繰り返されることで、体が拒絶反応(きょぜつはんのう)を起こし、鼻を中心に顔全体が腫(は)れて炎症(えんしょう)を起こすこともありました。
時には、痛みで寝込むこともありましたが、当時はこの詰め物を除去する手術が確立されていなかったため、冷水で絞った手拭いで患部(かんぶ)を冷やすくらいのことしかできず、ひたすら痛みに耐えるしかありませんでした。
かくして松井須磨子(まついすまこ)は、32歳で自殺するまで、手術の後遺症(こういしょう)に苦しめられることになったのです。
おわりに
今日は、日本初の整形美人は死ぬまで後遺症に苦しめられていたという話を書いてみましたが、いかがでしたか?
いやーしかし、これは痛かったでしょうねえ。(〇o〇;) ウウッ・・・
美人といえば、女性はメイクにどのくらいの時間とお金をかけているのでしょうか?
ちょっとリサーチしてみました。
リサーチ結果は、以下の記事をお読みください。