和菓子の名前には、簡単明瞭(かんたんめいりょう)なものが多いようです。
例えば、桜の葉で包んであるから桜餅、形が銅鑼(どら)に似ているからどら焼き、江戸の今川橋周辺で売られていたから今川焼き。
きんつばは、昔は丸くて薄い形をしていて、刀のつばに似ていたため、銀つばと呼ばれていました。
が、江戸に出てきたとき、「銀より金」とばかりにきんつばとなり、その形も四角くなってしまいました。
さて、そんな和菓子のひとつである「大福餅」は、3回も改名を繰り返していました。
「大福餅」は、3回も改名を繰り返していた
大福餅は、この名前に落ち着くまで、「うずら餅」と呼ばれていました。
大福餅のふっくらとした形が鳥のウズラのようで、また焼いて焦(こ)げた色も、何となくうずらっぽいからでしょう。
そのうち、腹がふくらんだ形なので、「腹太餅(はらぶともち)」と呼ばれるようになり、その大型のものを「大腹餅(だいふくもち)」と呼ぶようになりました。
腹太よりも大腹のほうが、よりデブだったわけです。
しかしながら、そのうち大腹餅ばかりになり、腹太餅の呼び名のほうは忘れられてしまいました。
そしてのちに、やや小型にして、こしあんを入れたものができたときには、腹太餅ではなく「大福餅」と名づけられたのです。
和菓子屋さんによっては、小さいものを「福餅」、大きいものを「大福餅」と、区別して売っているところがあります。
が、歴史の流れから見れば、これらは大福餅、大腹餅と区別すべきなのです。