赤塚不二夫とフジオプロによる、江戸っ子気質が色濃く残る東京下町を舞台にした、人情ものの雰囲気をもつギャグ漫画「もーれつア太郎」。
写真は、こちらからお借りしました。
正確には、「新・もーれつア太郎」の方ですが、オープニング、エンディングテーマともに歌っていたのは、元お笑いタレントの「島田紳助(しまだ しんすけ)」でした。
「もーれつア太郎」は、元お笑いタレントの島田紳助が転換期に入った頃のアニメソングの仕事
もーれつア太郎(新) OP がってん承知ノ介/島田紳助&バスガス爆発楽団
島田紳助は、元お笑いタレント、実業家です。
1974年から吉本興業(よしもとクリエイティブ・エージェンシー)に所属。
2011年に、芸能界を引退しました。
島田紳助は、18歳の時に、「B&B」に憧れて、師匠の島田洋之介・今喜多代(後・今日喜多代)に弟子入りをします。
そして、1977年9月に、松本竜介(解散後「松本竜助」に改名)と漫才コンビ「紳助・竜介」を結成。
その芸風は「ツッパリ漫才」と呼ばれ、若い男性を中心に爆発的人気を得ます。
そして、1980年頃からの漫才ブームにおいて、関西の雄(ゆう)として一翼(いちよく)を担(にな)った他、後輩の「ダウンタウン」にも大きな影響を与えます。
が、1990年代に入ってからは、お笑い以外でのテレビ出演も増えていきます。
テレビ朝日・ABC「サンデープロジェクト」の司会に起用され、話題を呼んだことを皮切りに、司会者としての仕事が増えていき、「EXテレビ」、「ダウトをさがせ!」、「開運!なんでも鑑定団」などが人気番組となります。
やがて島田紳助は、司会者としての地位を不動のものにしていきます。
「もーれつア太郎」は、そんな島田紳助が、転換期に入った頃のアニメソングの仕事となります。
このアニメは、1990年4月21日から同年12月22日まで、テレビ朝日系にて放送されましたが(全34回)、主題歌を島田紳助が歌ったことも話題のひとつとなりました。