集団での拒否行動を意味する「ボイコット」。
この言葉は、もともと人の名前に由来するといいます。
それでは、その人物とは一体誰なのでしょうか?
ボイコットの由来となった人物とは誰?
「ボイコット」のもとになった人物とは、イギリス陸軍大尉(りくぐんたいい)チャールズ・カニンガム・ボイコット(Charles Cunningham Boycott、1832–1897)です。
チャールズ・カニンガム・ボイコット
写真はこちらからお借りしました。
チャールズ・ボイコットは退役後、アイルランドの領地支配者(土地管理人、代官)となりました。
1880年(明治13年)の夏、作物が不作になってしまったため、小作人たちはチャールズ・ボイコットに土地代の引き下げを要求しました。
が、彼はこれを拒否、そればかりか、その土地を回収しようとしました。
これに怒った農民たちは、町ぐるみで彼を断絶(だんぜつ)。
レストランで食事も取れず、郵便物さえも届かない状況に陥(おちい)ったチャールズ・ボイコットは、命からがらイングランドへ逃げ帰ったといいます。
そしてこの事件が、当時新聞で報道されたことをきっかけに、「ボイコット」という言葉が広く使われることになったのだといいます。
日本のボイコット運動で有名なものは?
日本のボイコット運動で有名なものには、1978年(昭和53年)に読売ジャイアンツがドラフト会議をボイコットした「江川事件」があります。
これは、ドラフト会議前日に、プロ野球セ・リーグの読売ジャイアンツとの電撃的(でんげきてき)な入団契約を結んだ江川卓(えがわすぐる)投手の去就(きょしゅう)をめぐる一連の騒動で、江川問題(えがわもんだい)、江川騒動(えがわそうどう)、空白の一日(くうはくのいちにち)ともいわれる事件です。
また、1988年(昭和63年)に東北地方などで、佐治敬三(さじけいぞう)サントリー社長(当時)の”東北人は熊襲(くまそ)だ”発言に抗議(こうぎ)して、同社製品に対する不買運動が展開されたこともあります。
その他、2007年(平成19年)頃から、六ヶ所村(ろっかしょむら)核燃料再処理施設(かくねんりょうさいしょりしせつ)による放射能汚染(ほうしゃのうおせん)の危険性と、受け入れた地元への抗議(こうぎ)を訴えるために行なわれた、ミュージシャンである坂本龍一らの「STOP ROKKASHO(ストップ・ろっかしょ)」が、青森県、岩手県の生産品の不買運動を展開した例もあります。
参考にしたサイト
ジャガイモ不作で生まれた言葉の語源「ボイコット」(boycott) |ジャガイモ博物館
https://potato-museum.jrt.gr.jp/boycott.html